岩國分教会の歴史
福留村治は高知県高岡郡に生まれ、明治24年40歳のとき、兄の見上御守護頂いたことから入信、25年に用木となり、岩国に移り岩国布教を開始した。
その後、大勢の入信者を見るに至り、福留村治を初代所長として出張所出願の運びとなりった。そして明治28年11月26日に天理教岩國出張所が設立された。明治30年岩国町八六九番敷に移転した。明治42年に、岩國宣教所と改称されると同時に池 万作が2代所に任命された。
また、大正13年10月24日に、部内錦陽宣教所が設置された。初代所長 喜多村長一は明治32年7月山口県玖珂郡多田生まれ、大正12年玖珂郡川下村今津に錦陽宣教設立承認をいただいたのである。
その後2代 喜多村 ハル 3代 森本 冨高 と変更していく。
岩國2代所長に池 万作 3代に平田廣一 4代会長に池 イ子ヨ と変更したが、会長の出直しにより大教会より青年 池田 増穂が派遣され昭和21年8月5代会長に就任した。
それに合わせて錦陽の4代会長 池田 トキヱとなり夫婦そろっての一新を期しての出発となった。その後5代会長に池田菊治 6代に池田 弘 7代に池田幸穂へと受け継がれた。
岩國分教会は台風で流出したり立ち退き等あり昭和29年現在の岩国市錦見の地にやっと根をおろした。6代会長に池田 弘 7代会長に池田幸穂 8代現会長に池田幸祐 (2024年2月26日就任)と繋がってます。
また、それぞれの会長と共に苦楽を共にした信者さんの名前を挙げましょう。
増穂・トキヱの時代には上牧明子、松永タマヨ。菊治の代には市川芳子。弘・美穂の代には松島ツネ、弘は河内真一と共ににおいがけにまわっていた。美穂は豊島幸子を友として過ごした。
幸穂・典子の代には斉藤重子、松島利子が重責を果たした。教職舎ふしんには河内美代子が大きな御用をしてくれた。
そして増穂会長から現在の幸祐会長にわたり切れ目なく勤めてくれているのは、相川智光・ヒサエ一族、上牧美恵子、植木瞳家族、正木加代子家族です。
そして、少ないながらも力を貸してくれた親族がありました。トキヱの妹の長瀬三栄、幸穂の兄妹、大学は役員を勤めました。そして幸穂・典子の子供たちも幸祐会長の力に少しづつなって来てます。